2024年6月17日(月)〜21(金)まで、橘樹たちばな歴史公園(史跡橘樹官衙遺跡群)で復元倉庫の内部公開がされている。
僕は17日に行って見てきた。

知らない間に、「おさまろくん」というイメージキャラクターができていた。
橘樹郡司を務めた刑部直おさかべのあたい氏に因んだキャラクターとのこと。
個人的には「おだまろくん」(武蔵守 藤原百川の初名・雄田麻呂)もアリじゃないかな、などと独り言を思ったり。

12時45分から受付を開始しており、着いたのは13時頃だと思うが、平日とはいえ思っていたより多くの歴史ファンが復元倉庫の前に集まり、職員(たしか市教委だったと思う)の解説を聞いていた。

復元倉庫には、奈良時代の倉庫に用いられた海老錠えびじょうやく(クルルかぎ)を扉に設置されている。

僕が貰った受付番号は49番。
当初10人ずつ15分間隔で内部見学の案内がされていたが、途中から20人ずつになった。

順番待ちの間、倉庫に用いられている錠を見せてもらった。

海老錠は現在のところ橘樹官衙遺跡群から出土しておらず、橘樹官衙で使用されていたか不明だが、都城跡や官衙跡の遺跡から出土例があるため、復元で採用したとのこと。

そして、いよいよ内部。

妻側は扠首さす組と二重のはりによって、切妻造の茅葺き屋根を支えている。
地面から屋根まで貫通した柱はなく、板を組んで壁面を構成する板校倉あぜくら造。

東大寺正倉院のような三角形の角材ではなく、文字通り板。
そのような加工は飛鳥時代では難しかったと考えられ、板校倉が採用されたとのこと。

建材は古代に使われた鑓鉋やりがんなで削り整形されている。
鑓鉋では台鉋のように長いストロークで削ることは出来ないため、削り跡は短く鱗のような凹凸が出来る。

とはいえ大工の腕が良く、鑓鉋でも削り跡を長く平らかに仕上げたそうで、研究者の先生等から逆にキレイすぎると指摘があり、リテイクしたものらしい。
古代ではもっとデコボコしていたのだろう。

ところで復元倉庫には梯が設置されているが、これは見学用に設置されたもので、古代の倉庫に常設された梯はない。
そもそも、緊急時以外に貯蔵した稲を倉庫から出すことはないので、常設の梯を掛けておく必要もなかったのだ。

今回のような内部公開は、次回未定ではあるものの、今後もやる予定とのこと。

橘樹歴史公園

参考資料

2024年6月17日閲覧